こんにちは。しみずみちです。
「いま幸せ」を感じられていない方、いますか?
私は以前はそうでした。
自己肯定感は底辺で
自分責めして、
ネガティブ思考で、
他人と比較ばかりして、
「幸せってどこにあるんだろう?」と
いつも幸せ探しをしていました。
そんな過去の私と似ているかも?
と思われた方は
この記事を読んでいただき、
何かしらのヒントになればと願っています。
幼少期
私は徳島で天才的な兄と弟の2人に挟まれて育ちました。
母は教育熱心で父は医者だけどちょっと変わっていました。
物心ついた時から家庭内別居。
両親のやりとりは今でもいろいろいろいろ覚えてます。。
兄弟3人はとても仲が良くてよく3人で遊んでました。
日曜日は毎週のように3人一緒に習い事の書道に行ったり、
空いた時間は小学校や中学校の運動場に行って野球やバスケを3人でしたり。
私がまだ小学校低学年くらいの頃、
私が高い遊具から落ちて口から血を流した時
兄がおんぶして家に連れて帰ってくれたり。
ほのぼの3人兄弟姉妹だったと思います。
家では、弟とよくボール投げをしていました。
テニスボールのようなボールで毎日毎日投げ込むもんだからそりゃあうまくなります。
ミットを片手に剛速球で投げ合ってました。
今でもあの感覚は覚えていて、キャッチボールがいいスピードで繋がる感覚は大好きです。
また、弟とは仲がいいからか、よくケンカもしました。
食卓の周りをグルグル本気で追いかけあって、
やられたら回転が逆になって今度は私が追いかける…
私のほっぺには弟に引っかかれた傷がよくありました(笑)
この時から楽しいんだけど本気で生きていたんだなぁと思います。
ちなみに、大人になってから
「あんなにケンカしてたけどお母さんはどう思ってたの?」
と母に聞いたことがあって、すると答えは、
「なんかしよったな~」
という的を得ない回答。。
そう、
ある意味、無関心(笑)
ある意味、子離れしていて自主性を育てる。
子供の頃の習い事
水泳(4歳~小5)

4歳から水泳を始め、小2から選手コースでバンバン大会に出ていました。
タイムは今一つで稀にキセキが起きて決勝に進めることもあるというレベルでした。
小学校でダントツでも、自分は速い!なんて自覚はなかったですね。
実は、小2から小児喘息を発症し、病院に運ばれ点滴を打つことも多々あり、鬼ごっこすらできない生活。
そんな呼吸が苦しい中でも水泳を続けてたのでこれ、喘息がなかったらどんなに楽なんだろう・・と考えたりもしていました。
とにかく練習が過酷でスパルタでビートバンがしょっちゅ飛んでくるし。。
さらに今では絶対訴えられるであろう真冬に高校の屋外プールで苔だらけの中、泳がされたこともありました。
あれは何だったんだろうと今でも思います。
ピアノ(幼児~高3)

幼稚園の頃からヤマハ→小学校からピアノを習いました。
ヤマハの時は楽しかったとは思いますが、ピアノに切り替わってからは練習しないと母親が怒るので小学校時代は泣きながら練習していたこともありました。
ただ、そんなに好きอではなかったけど、なんだかんだ高校まで続けたように思います。
特別な才能はないので上手なわけではないけどこれも地道に練習すればできるようになる。
最後に弾いたショパンのノクターンは自分の中では唯一の思い出の曲です。
嫌な思い出もあるけど、音楽の感性はここで磨かれたのかな、音楽への興味、ピアノで音を奏でることの豊かさはピアノを長年習っていたからこそ分かったことです。
子育てをするようになってから、今では自分で好きな曲を探して弾いたり、子供たちと発表会で連弾したりしています。
書道(小2~高3)

毎週日曜日に兄弟3人で少し遠い場所に習いに行っていました。
硬筆と書道をひたすら書く、2-3時間当たり前のように書き続ける3兄弟でした。
私は集中力があまりない方で手がいつの間にか止まってよく周囲を観察したりしてましたが、そんな私でもある程度の集中力が養われたように思います。
小学校6年の時には全国競書大会というので大きな賞をいただいて日本メンバーとして中国へ行かせていただいた、ということもありました。
こんな感じで、子供の頃から超真面目に頑張っていました。
良くも悪くも。。
既に「頑張る人生」はスタートしていましたね。
また、この3つの習い事を3兄弟みんなやっていて、兄も弟もセンスがありすぎるので両親から比較されることはあまりなくても褒められることも基本ないので自分ができるなんては全く思っていませんでした。
ここからだんだんと強烈な価値観が根付いた過程に入っていきます。
母からの呪文の言葉
よく、母から「ミチなんて」と言われていました。
私の中では言われているのが当たり前なのでこの言葉がどうこうなんて考えたこともありませんでした。
(家の中でのことってみなさんこれが当たり前、、と思いますよね。)
母も超しっかりした祖母から「あんたはできないから・・」という風に育てられているので母は母で祖母からの呪文、洗脳を受けています。
男尊女卑の世界観があったんだろうと思います。
子供の私にはそんなことを理解できるわけもなく、
「ミチなんて」と言われるから当然、「自分なんて・・」と育ちます。
自己肯定感なんてあるわけもありません。
自己肯定感ゼロです。
夕食の時に日本語能力がない私は国語や歴史が大得意な母に何か聞いたら「そんなんも知らないの?調べたら?」
(以上、終了!)
つまらない。。。。
なんで聞いたらだめなの。。。。。
悔しくて腹が立ちすぎて泣いてるときもありました。
ごはん自体楽しくない。。。。
旅行に行っても、家族でニューヨーク行った時も私ひとり拗ねて後ろをとぼとぼ歩く風景を覚えています。
つまらなかった。。。
やりたいことができなかった中高時代
スポーツ、特に球技が子供のころからめちゃくちゃ好きで、
キャッチボールはひたすら弟とミット片手に真剣に投げ合っていました。オテンバ女子です(笑)

小学校時代は朝早くから男子とドッジボール。
でも走るのはビリ争いできるほど遅いんですけどねw
中学は近所にあった私立中高一貫校を受験して進学しました。
前後しますが、なので中学受験勉強は4年生から開始して、これまた少し遠い塾へよく通っていました。
当時の受験科目は算数と国語の2教科。
(中学受験に関しては思うことがたくさんあるので別途書きます)
当時その学校は部活をやっている子が10%くらい。
そんな環境だったため流れで部活の選択がありませんでした。
部活をしない分、体育の授業を真剣にやってました。
一年を通して女子は体育館でバレーボールかバスケで強くなりたいのでひたすら家でヤミ練してました(笑)

そりゃうまくなります。
それでバスケ部の友達からバスケ一緒にやろう~と勧誘してくれて、、
私は嬉しかったし、すごくすごくやりたかった。
だけど母に反対されるのは想像がついてて、
どうしよう・・・と思いつつも頑張って頑張って・・・
「バスケ部入っていい?」と切り出しました。
「何考えてるの!」
一蹴されました。
私は、自分の部屋で大泣きしました。
悔しくて悔しくて、壁を足蹴りして壁に穴が開きました。。。。。。
そして、この時、心にも大きな穴が開きました。
全く分かってもらえない寂しさ。
分かってくれようともしない虚しさ。

過去、思い返すと、母と手を繋いでいた記憶、母とお風呂に入った記憶、母と一緒に寝た記憶、全然ありません。。。
みんなそんなものですか?
元々私は記憶力が相当悪いので記憶力の問題かもしれませんが、母とくっついている記憶は休みの日に母が朝まだ寝ていて、その母が寝ている布団の上からのっかる自分でした。
今思い出してもその布団の中に入るという概念、その時小学生くらいだった自分には既になかったんですね。。。。
その他、母からの影響
大人になって分かったことですが母は1つのことに一生懸命になってしまうタイプで毎日、祖母が畑で育てた野菜を使って美味しいご飯を作ってくれていました。
毎日毎日、料理に一生懸命!
が、それ以外が見えなくなります。
分かりやすくお伝えすると、
・料理以外の家事は祖母担当。
・料理でもハンバーグ焼いている間、他のことに気が行ってしまうのでほぼ焦げる。
・料理だけはうどん作ってくれたり、コロッケ作ってくれたり、豆腐団子作ってくれたり、ちらし寿司作ってくれたり、とてもとても丁寧で計画的。
そして、子育てで致命的なのが「人の感情が読み取れない」ということ。
子供が何を考えているのかも分からない。
伝えても分からない。
言われたことすら覚えてない。
そんな母だったからか、
・小学校2年生のときに眼鏡っ子になった私の眼鏡はなぜかピンク。これをきっかけに少しいじめも。
とはいえ、それでへこたれもしなかった自分。
・着る服は中高時代も兄からのお下がり。みんな流行りのチェックシャツなど着ていたけど私は兄の男子のセーターでまぁまぁ恥ずかしかった。。
私も母が聞いてくれないのは分かっているので言っても伝わらないので無意識で自己主張しない、できない、になっていたと思います。
子供の頃養われた才能1

私が子供の頃感じた自分の才能というか楽しかったなと思うこと。
それは、
「できないことができるようになる喜び」
「知らないことが分かるようになる喜び」
これに尽きます。
これはピアノや書道も関係しているとは思いますが自分の中ではスポーツと数学を通して得た能力です。
解けない問題が解けるようになるのは快感
できないリフティングができる回数が増えていく快感
最初はできなくても何度も何度も練習していけば絶対にできるようになる。
子供の頃養われた才能2
もうひとつは、チームプレーの球技を通して得たものですが
「今ある状況を読み取って、瞬時に判断すること」
これは子供の頃のバスケなどのスポーツを通して、さらに大人になってからフットサルをしたことで得た感覚です。
才能というと大げさですが、この自チームと敵チーム、そしてボールがあって全体的に動きがある中で自分が瞬時にどこにどのタイミングで動いたらいいのかを判断し、それがうまくハマった時の快感!
これがものすごく好きです!!
実は、これが、今のクライアントさんとのセッションでも共通する感覚で、この感覚が使えるので最高に自分の能力が発揮されていると感じています。
大学受験
大学受験のことも別記事で詳しく書いてもいいかなと思っていますが、大学によって、学科によっては「数学300点」「物理100点」という選択ができました。
今よく知りませんが、当時は。
私の得意科目はやはり数学。
お茶大レベルであれば解けていました。
数学は塾に通っていたので勉強していましたが物理をどう勉強していたかは覚えていません。。
果たして勉強していたのだろうか!?
大学受験は他にも上位の候補もあげはしましたが全然歯が立たなかったのでA判定だった無難なお茶の水女子大学にしました。
学科を情報科学科にしたのは大きな理由は特になくその他は数学科や化学科・・でマニアック過ぎるのと400点中、数学が300点という配点で選んだように思います。
当日の試験の感覚は今でも覚えているのですが
・数学はだいたい解けて全部に近いくらい埋められたと思います。
・一方、物理は全く分からなくてほぼほぼ白紙状態。
記号で答える箇所があったのでそれを1つ書いた記憶があります。
受験後は啞然でしたw
結果、合格。
我ながらすごいなーと思いました。。。。
大学時代
勉強はほどほどに、寝る間を惜しんでがむしゃらにやりたいことをやりました。
中学高校では勉強しかできなかったので部活並みにダンスにのめり込んだり、IT系ベンチャー企業でのアルバイトにのめり込んだり。
反動とはこのことです。
中高時代にがんじがらめだったために、大学で羽が生えましたww
寝る間を惜しんでスポーツしたり、仕事したり環境的にもみんなで飲んで遊ぶということはほぼしませんでした。

ダンスは社会人と学生で作ったチームで経験ゼロから腹筋割ったり、開脚180度できるようになったり、頑張りましたね(笑)
営業活動もして、いろんな場所でパフォーマンスもしました。
Jリーグやバスケの試合でのオープニングパフォーマンス、2000年のシドニーオリンピックでのパフォーマンス、大学生ながらいい経験でした。
そして、常に真剣に頑張る人生です(笑)
社会人時代

無事に野村総合研究所に内定いただき、コテコテの技術系の基盤システムの部署に配属され予想通り激務な中で、厳しいながらも、成長したい一心で必死に働いてました。
とにかく必死に。
タクシー帰りすることは日常のようにあり、結婚式前日も夜中まで働いたし、その数年後は流産して病院に行き悲しかったけどそのまま会社に行って仕事をしました。
今考えるとよくここまで働いたなと思います。
何が自分にとって大切か、ということは考えてなくて責任感だけで動いていたようにも思います。
ひたすら頑張る人生ですね。
そしてだんだんと自分の得意な仕事ではないやりたい仕事ではないことに気づいていきました。
システムよりもっと人と接したい、そんな思いを上司に話しながら部署異動もさせていただきながらこの会社に所属する意味を数年は探していました。
▶学んだこと
学んだこと、好きだったことはこの辺りでしょうか。
・プロジェクト管理のノウハウ
・説得するための資料作り
・チームマネジメント
・プロセス改善
・調整力
大規模な金融系システムを作っていく仕事だったりもするので正常に動くのが当たり前。
なのでバグを出してはいけない。
ミスをしてはいけない。
なので社風的に人を詰める、という空気感もあり
ここに自分の人生の時間を使う必要があるのか、、と考えるようになりました。
この会社で働けて、将来安泰だけど自分の人生これでいいのか?
自分にそう問い続け、答えは「No」でした。
14年で退職を決断しました。
この決断があったからこそ今の自分がいるのでこの決断ができた自分はナイスです。
退職と同時に始まった別居→離婚
ここのタイトルのとおり、退職(厳密には最終出勤日)と同じ日に元夫との別居が始まりました。
そもそもの結婚自体、よく分からずに結婚している私。。
自己肯定感が底辺なので今思うと仕方ありません。
当時、子供たちは保育園に通っていて年長と年少の学年でした。
別居のきっかけはしょうもないことで、元夫がいきなりキレて出て行き、、そもそも夫婦関係は成り立っていなかったので長期間の別居→離婚成立まで壮絶な約9年でした。
ただですね、、この元夫の存在があったから私は「なにくそーーー!!」と自分が変われたのは事実で。。。
ネガティブな事象も見方を変えれば、というのは本当にこのことです。
離婚を最悪な人生と思うのか。
離婚を最高な人生になるキッカケ、この人に出会えたから自分が変われた、と思えるのか。
私はこの結婚&離婚があったから絶対に自分が変わりたいと思うようになり、第二の人生を探し始めました。
この負の感情を何とか変えたい!
そんな思いを強く、強く、持ちました。
絶対に幸せになる!と。
この時に、「幸せってどこにあるんだろう?」
ではなく「絶対に幸せになる!」
と自分の中で変化していったのも事実です。
退職後は自分で物販事業を始めてうまく行かないこともあったけど知っている方からノウハウやビジネスマインドを学び、自分の決断で、自己責任で進めて行きました。
1人で稼ぐ方法も知らなかった私が1人で稼ぐようになりました。
物販も輸入物販、輸出物販、2つの事業を回しました。
器用さと不器用さを兼ね備えている私は数年かかりましたが月収で150万を超えるようになりました。
だけど、、この仕事をずっと続けたいか?と自分に問いました。
答えは「No」。
当時の私は「システムより人と関わりたい」と思っていたのに何年も結局1人で閉じる仕事を無難にこなしている。
結局自分で無難な方に逃げていた!?と気付いている時期でもありました。
また、自分のイライラ子育てをなんとかしたかった。
そんな時、とあるコーチングスクールに出会いました。
私は直感で即決でそのコーチングを学ぶことを決めました。

いくら稼いでも幸せはそこにはない。
お金は必要だけど、お金=幸せではない。
もっともっと大切なものを求めて。
コーチングスクール時代
本当に内容が深く、核心をついていていました。
ただ、ここで自分の闇の深さを知るわけです。。。。

当時の私は
・イライラ体質
・ネガティブ思考
・子供との関係も最悪
・姉妹ケンカもヒドイ
・母にもイライラ
・母と長時間会話できない
・母→子供たちの発言にもイライラ
・家ではモノが飛ぶことも
・子供の態度にすぐ腹が立つ
こんな自分をどうしたらいいのか。。。。
もうもう、、、1つ1つ向き合い始めました。
1つ解決してもその先が見えるわけもなく1つ解決しても真っ暗闇また1つ解決しても真っ暗闇そんな感覚です。
とにかく1つ1つ学んだ通りに実践し続けました。
たまねぎの皮を1つ1つ剥くように・・・
そうすると、ある時玉ねぎの芯と言えるものにぶつかりました。
その時は号泣でした。
長かった。。。。。。。。
いや、これで終わりじゃないんだけど、、、笑
いくら学歴があっても、いくら経歴があっても、そんなの他人軸でしかなく自分がどうなりたいのかどういう人間になりたいのかそれが大切だということに気づき始めるわけです。
そして幸せはなるものではなく幸せは今ここにあると感じるもの。
その後の子育て
子供たちへの言動が変わり始めました。
子供たちの感情と会話ができるようになっていきました。
いや、今でも100%できるわけではないです。
自分がうまく対応できなかった時もあります。
そんな時はごめんね、と伝える。
それでいいかなと思っています。
100%の母親というのも人間だし厳しい。
逆にママはこんなママで変だよね!!普通じゃないよね!!なんて言いながら子育てしてます。
皆さんそうだと思いますが子供によって性格って全く異なりますよね。
我が家の長女と次女もまーーーーったく異なります!!!
長女に通じることが次女には全く通じない。
そんなことが当たり前。
日々、試されます。
親は、子供がいてくれるからこそ成長できるチャンスがたくさんあります。
これを嫌なことと思って過ごすのか、チャンスと思って過ごすのか、それ次第で人生は大きく変わります。

長女の中学受験
私がコーチングを学び始めたのは長女の中学受験生活前~だったかと思います。
私が変化していったことで私の長女の勉強に対する対応が大きく変化しました。
これは今思うと本当に良かったです。
間に合って良かったです。
実際に長女4年の頃は私も変わりきれてなくてまだ闇の中。
その時の私は
・長女に勉強を教えてるとイライラする
・長女の態度にイライラする
・モノが飛ぶ
・そんな自分が嫌なので塾にお任せ
・長女はよく拗ねる
コーチングを学ぶ前の状態の私がこのまま長女の中学受験を終えていたら恐ろしい結果を生んでいたでしょう。
恐ろしい結果というのは、親子関係の崩壊、信頼関係の崩壊、という意味です。
私自身が変化したからこそ、長女に寄り添うことができたし、長女の思考を伸ばすことができた、長女も自立して行動できるようになった、と思っています。
国語の成績UPのことはいろんなところで書いていますが、それも私が長女と向き合えるようになったからできたこと。
私の功績、、なんて言いたいわけではなく実践するのは子供なので親ができるサポートをできた、ということです。
たくさん会話してたくさん応援してすごくすごく楽しい受験生活でした。
長女は中学受験を通してものすごく成長しました。
プラスをたくさん生むことができた大切な時間でした。
そして、今、長女はさらにこうなりたい!という自分に向かって笑顔で楽しく突き進んでいます。
そんな長女を私は誇りに思います。
次は、次は、、、、超難関な次女が待ってます。
私をさらにさらに成長させてくれることでしょう。。。。(笑)
この姉妹の生まれた順番もよく考えられてます。
姉妹の順番が逆だとしたら、私は発狂してますw
親子で崩壊していますw
神様が用意してくれたプレゼントですね。
ありがたくこれからも成長させていただきます。

※ プライバシー厳守
